フェミニストの活動に対する疑問と自分の答え、そして社会とのすれ違いについて

最近、Twitterなどでフェミニストによる活動を目にする。自分はあまりフェミニストについて詳しくはない。

 

本来のフェミニストの意味するところと、Twitterでよく目にするような「フェミニスト」という語には少し齟齬があるような気がする。しかしここではTwitterでよく用いられている意味としての「フェミニスト」という語を用いる。本来の意味としての社会活動を行っている(男女共同参画社会運動や同性婚、あるいは夫婦別姓など)方々へは申し訳ないけど、ここではそのような定義に従って持論を述べたい。一応自分はその違いをある程度理解しているつもりだし、「フェミニスト」という語に強い嫌悪感を抱いているわけではないということだけ申し添えておきたい。

 

さて、初めに書いたとおりだが、最近Twitterなどでフェミニストによる活動をよく目にするようになった。自分が思うに、そういった活動の中でもっぱら取り上げられているのが「女性の性差別や性的搾取」という名目のもと「萌え・かわいい」系の美少女コンテンツを排除するような動きだ。

 

自分自身そこまで美少女コンテンツに触れてきているような身ではない。なお、ちなみに私は男性であり、少しアニメやマンガを見る程度である。あまり声優には詳しくないし、聖地巡礼やライブイベントに参加するほど熱心ないわゆる「オタク」ではないと思っている。

 

今回は主題の通り、フェミニストたちの活動とオタク達の反発運動について、できる限り客観的に自分の思うことを述べていきたい。もちろん初めに断っておくが、これはあくまで自分の考えであり、何か科学的な根拠やデータに基づいているわけではない。そういう意味では客観視できておらず主観的な意見かもしれない。けどできる限り中立な立場で議論をしていきたいと思う。

 

さて、もしこの記事に目を通してくださった方がいたとしたら、やはりこの記事は「温泉むすめ」というコンテンツの騒動を受けたものであることはすぐに分かるであろう。実際にそうである。とはいえ、もちろんきっかけはそうであるにしても、前からこのような「萌え・かわいい」コンテンツを排除するような動きはあった。そのころから少しづつ自分の中での意見が浮かび上がってきて、今回の件はかなりTwitterを賑わせていたので、いろいろとTwitter内の意見も調べながら自分の意見を加えて書いたということである。なお、特に原稿とかを用意して書いているわけではないので、順番が錯綜するかもしれないし、文章の推敲が足りずに読みにくいかもしれない。それについては大変申し訳ないということを予め断っておく。

 

では早速主題について考えていこう。今回の「温泉むすめ」に対するフェミニストたちの意見はどうであるかというと、やはり美少女コンテンツが出てきていることが問題なのであろう。より具体的には、その美少女らが存在することで男性らが女性を性的に見るということを助長する、ひいては女性は男性にとっての性奴隷のような役割を担っているということを刷り込んでいるという「性的搾取」が問題だ、ということと受け止めた。これについての自分の意見を述べるのは難しい。これの答えについては置いておくことにしよう。

 

しかしどうも意見の中にはより具体的な指摘もあった。例えば「30歳になって消えるという設定は若い女性にしか価値がない(=性的にしか消費できない)ということを意味しており、男性にとって都合のよい設定になっているのが気持ち悪い」や、「公式PVの露出度が高すぎて性的に消費されることを想定したものである」、「夜這いを期待したりスカートめくりをしたりと不適切な設定が多い」などといったものである。先ほど「性的搾取」の対象となるかどうかの問題は難しいと答えたが、これらの具体的な指摘については個人的には概ね正しい主張であると感じる。確かにいささか不適切な点が見られていると思う。

 

Twitterを見ているととにかくフェミニストたちが美少女コンテンツを排除する動きをしているのが嫌で反発しているような勢力も見られたが、正直いくつか正しいような指摘もあったので、それについては素直に受け入れたほうがいいとは思う。そういう意味ではフェミニストたちがけしからんと思ったことを素直に伝えていけばコンテンツのあり方をよくして行けることは確かであろう。

 

しかし思ったこととしては、「性的搾取」については抽象的で答えづらい質問であるが、具体的な指摘については概ね正しいと感じた点について、具体的な指摘の多くは「けしからん」という言葉で片づけられるのではないか、という気がした。

 

実際、この騒動の少し前にVtuberの戸定梨香氏がやはりフェミニストたちによって抗議されていたことがあった。少し前であまり具体的な内容は覚えていないが、確か「スカートが短すぎる」「胸の揺れが強調されている」あたりだった気がする。まあ要するに「けしからん」ということだろう。

 

とにかくフェミニストたちが抗議する内容はいわゆる国がバックについているものに対してである。「温泉むすめ」は観光庁公認で、戸定梨香氏は松戸警察および松戸東警察の交通安全啓発活動、後は宇崎ちゃんの献血ポスターあたりだろうか。あまり自分が詳しく知らないだけかもしれないけど、自分の印象はそうである。逆に国などがバックにいないような活動に対してフェミニストたちが抗議しているというのはあまり聞いたことがない。もしかしたらあるのかもしれないが。

 

そういう風に考えると、国がバックにいるのにも関わらず「けしからん」ことをしていることがフェミニストたちにとって問題だと抗議の対象になるのだろうと自分は考える。つまり「個人で勝手に美少女コンテンツを展開するのは勝手だけど、国がバックについている(=公認である)のに美少女コンテンツでけしからんことをするのは許せない」ということなのだろう。

 

そしてこれに関してはまあフェミニストたちの言い分はよくわかる。確かにいわゆる「萌え・かわいい」系の美少女コンテンツは少し近寄りがたいような空気感があるのは確かである。特に「温泉むすめ」で問題視されたようなかなり性的寄りなPVみたいなのがお茶の間で流れていたら少し気まずいだろう。自分も少しはアニメやマンガは触れるしちょいエロ(全年齢対象だけどラッキースケベがあるみたいな)なものも見たりするけど、それは一人で見るものであって家族と観賞となると少し気恥ずかしい。あるいはオタク仲間だったら大丈夫だけどそうでない微妙な関係性の友人だったら気まずい。という感じだろう。

 

そういうわけで、確かにオタク受けする「萌え・かわいい」系は全面に押し出すのはあまりよくなくて、特に国がバックについているのにそんな萌え萌えなコンテンツを公認でやってしまうとまあ冷ややかな目で見たくなるというのも分かる。しかしながら、要するにその得も言われぬような感情は「キモい」という言葉で表現することができる。つまり自分が思うにフェミニストたちの抗議活動は「キモいからやめてほしい」と簡潔に表現することができるということだ。

 

しかし、少なくとも自分はその気持ちは分かる。いわゆるオタクたちもそれは分かっているのだろう。自分はちょいエロなコンテンツも見たりはするけど家族とは見れないし、そういう気恥ずかしい気持ちがあるので、要するに周りに公言しづらい(=キモいという自覚がある)のである。なのでもしフェミニストたちの主張が「キモいからやめてほしい」なら、自分としてはだいぶ筋が通っているように感じるのである。

 

しかしそんな主張はできない。なぜならば、最近の社会情勢としてそのような表現はご法度とされるからだ。最近の社会情勢として「多様性」というものが広く浸透してきている。要するに差別をやめろということだ。しかしながら「キモいからやめてほしい」は紛れもなく差別である。だからこんな主張はできない。しかし、たぶん「キモいからやめてほしい」なら誰もが納得する主張なのである。実際オタク側もこれなら仕方ないと思うであろう。

 

さて、こういうとフェミニストから「それは違う」と反論されるかもしれない。実際フェミニストたちの主張は「性的搾取」であった。これについてはまだ議論していなかった。自分は「性的搾取」の意味合いがいまいち理解できていないが、要するに美少女コンテンツが現実の女性たちを性的に見るようになるということを言いたいのだろう。しかしながら、おそらくこれは嘘だと思う。

 

ここから先の議論は何も科学的な根拠はなく主観で申し訳ないのだが、一応自分の考えをまとめておきたい。仮に美少女コンテンツがなくなったとしても、フェミニストたちの主張は解決されないと思う。なぜなら、男性はいつでもエロいことを考えているからである。いつになっても男性からのレイプのような事件があるだろう。これの原因は美少女コンテンツではなくて、男性の本能的なものであると思う。ここで勘違いしないでほしいのは、「男性の本能がエロだからレイプは仕方ない」ということを言いたいわけではない。もちろんこれはレイプした男性が2億%悪い。自分の性欲を制御できなかったことが原因だ。とはいえ、やはりどのような男性もこの闘いから逃れることはできない。キモいオタクでも、イケメンでも、高学歴でも、誰でも大体男はエロくてダメなやつなのである。高学歴タレントが文春砲を食らったりするし、イケメン俳優が不倫したりするであろう。これは美少女コンテンツの問題ではない。現実にたくさんの女性を侍らせられるような勝ち組のオスでさえ、自分の性欲に勝てないのである。だから美少女コンテンツをなくしてもこの問題は解決しない。

 

あるいはもしかしたら「大体凶悪犯罪犯すやつはキモいオタクじゃん」という新たな問題提起がくるかもしれない。統計的なデータが分からないからそもそもこれが正しいかどうかすらわからない。まあでもこれを正しいと仮定しよう。しかしながら一応これにも反論はある。もし仮にキモいオタクが凶悪犯罪を犯したとしても、美少女コンテンツをなくしてもそれが解決するわけではない。なぜならば、むしろ初めから凶悪犯罪を犯すような奴がキモいオタクになるからである。

 

どういうことか考えよう。こういっては女性から怒られるかもしれない。けど多分事実なので述べておく。モテない女性は、本気で「誰でもいいから男を捕まえたい!!」と思えばほぼ100%男を作ることができる。なぜならば、売れ残った男性のほうが多いし、男性の根底は「エロいことしたい」からである。女性から強い反発を食らうかもしれないけど、女性はおそらく社会でうまくいかなくても、承認欲求で生きていける。例えばTwitterで裏アカウントなどを作れば男がホイホイ釣れる。たぶんそういうのはキモいのしかいないと思うけど、そういうのをたぶらかしていれば承認欲求は得られるし、その中から男を選んで捕まえることもできる。

 

一方でモテない男性はマジでモテない。なぜかというと、おそらく男性側と女性側の要求が異なるからであろう。男性側は「エロいことしたい」が全てである。本当にどんな女性であっても「エロいことしたい」は解決可能である。一方でおそらく女性の求めるものは「安心感」だったり「経済力」だったりするだろう。この点女性のほうが選びたい男性へのハードルは高い。だから女性はハードルが高いという理由でモテなくなり、ハードルを下げて「誰でもいい」とすれば男性側はエロいことできればOKなのでなんとかなるのである。だから男性はモテないやつは本当にモテない。

 

さて、少し話が逸れてしまった。ここで論じたいのは凶悪犯罪を犯すキモいオタクについてだ。まずそもそも凶悪犯罪を犯すという動機のほとんどは「社会でうまくいかなかった」ということであるだろう。これを仮定しよう。社会でうまくいかないというのは要するに職場の環境が良くないということであり、その多くは人間関係だ。もし人間関係は良好だけどブラック企業なのだとしたら、たぶん凶悪犯罪はせずに自殺を選ぶだろう。いくら「どうせ死ぬから」といっても社会に悪い意味で名を残すのは嫌だから、凶悪犯罪を犯すのは社会でうまくいかずに「こんな世界はクソったれだ」と思うからであろう。

 

しかし社会でうまくいかなかったとしてもすぐに凶悪犯罪を犯すことはしないだろう。自分なりにもがき苦しむはずだ。そこで、これも自分の主観だが、社会でうまくいかない女性は承認欲求を集めるだろう。そして男性はキモいオタクになるのだ。まず社会でうまくいかないのだから、現実世界はダメだ。そうなると逃げられる場所はバーチャルの世界だけだ。そこで女性は例えばTwitterの裏アカウントなどを作って承認欲求を満たすであろう。一方で男性はアニメやマンガの世界に入り浸るのである。女性のほうについてはあまり詳しくないのでもしかしたらだいぶ間違っているのかもしれない。間違っていたら申し訳ない。ここからは男性のほうについて考えていこう。

 

社会でうまくいかなかった男性にとってアニメやマンガの世界は素晴らしい。なぜならば、いくらアニメやマンガに登場する美少女たちに好意を抱いても大丈夫だからである。なんなら性的感情を抱いても大丈夫である。もしアニメやマンガに登場する美少女たちが意思を持っていたとしたら、「うわ、このオタク気持ち悪い……」と思うのかもしれない。けれどもバーチャルな存在なので、そんなことはない。そしてもしその美少女キャラクターに強い好意を抱いて、自分の部屋をそのキャラクターのグッズで埋め尽くしたとしても、バーチャルなので大丈夫である。世間からは「うわ、キモ」と思われるかもしれないが、それ以外は問題ない。もしこれが現実の女性に対してだったとしたら、間違いなくストーカーで犯罪である。というか少し好意を抱いて近づいた時点で「キモいからやめて」と蹴られるだろう。

 

そんなわけで、自分が思うに美少女コンテンツというのは男性の夢が詰まっており、社会でうまくいかなかったとしても自分を受け入れてくれる(けど反応もない)ような存在なのである。だから社会でうまくいかなかった男性はキモいオタクになるのだ。そして、結局凶悪犯罪を犯してしまうキモいオタクは、この美少女コンテンツという受け皿にすらとどまれずに犯罪を犯してしまうのだ。

 

さて、長くなってしまったが、「大体凶悪犯罪犯すやつはキモいオタクじゃん」という問題提起に反論するならば、むしろ逆でもとから犯罪を犯すような社会でうまくいかなかった男性がキモいオタクになるのである。つまり、もし美少女コンテンツを排除しても、受け皿が消えるだけである。結局社会でうまくいかなかったら社会に憎悪を持って復讐するのである。意味はない。

 

しかしここで一応弁明しておくと、自分は凶悪犯罪を犯すものに同情しているわけではない。どんな理由があったとしても、犯罪は許されない。社会でうまくいかなかった男性の原因を突き詰めれば、実際は自分で努力すれば改善できる点が多くみられるだろう。本当に容姿が悪いとか何らかの障害を持っている場合は難しいけど、例えば清潔感がないとか、コミュニケーションが苦手で距離を詰めすぎてしまうとか、やる気が足りず仕事が全然できてないとか、いろいろ直せる点もあるはずだ。そういうのをなおざりにして犯罪に手を染めるのは言語道断である。男性が2億%悪い。しかし、自分の上記のような分析によれば、たぶん美少女コンテンツを排除してもこの問題は解決せず、結局は凶悪犯罪を犯す者自身の問題である。

 

さて、もう一つ新たに問題提起されそうなことを述べておこう。「美少女コンテンツに触れたせいでレイプの原因になるのでは?」ということだ。さて、これについては正直なところ影響がゼロということではないと思う。実際に美少女コンテンツの二次創作、いわゆる「エロ同人」を見て、実際に女性に性的行為を迫ったということはあるとは思う。そういう意味では美少女コンテンツを排除すれば解決するのかもしれない。

 

しかし逆に考えてみれば、そういういわゆる「エロ同人」の存在が性的被害を減らしているとも取れないだろうか。これに関してはまったく科学的根拠はないので社会実験でもしてみないと分からないところではある。ただ、まず先に述べたように男性はとにかくエロいことをしたいと本能的に考えているので、仮に美少女コンテンツをなくしても性的被害がゼロにはならないことは確かだろう。もちろん先に述べたようにこれは2億%男性が性欲を抑えられないことが問題なので、事件が起こることは仕方ないと言いたいわけではない。でも美少女コンテンツをなくしても解決に繋がらないのは確かだ。

 

また、話がとっ散らかって申し訳ないけど、先に美少女コンテンツが性的欲求を刺激したということについて述べたわけだが、このように少しの可能性も排除するということになると、世のすべてのコンテンツが消えてしまう。既にいくつかそういうような動きもあると聞く。例えばアニメのキャラで本来は煙草を吸っているのにそれをやめさせたとか。同じように考えて少しの可能性も排除するなら、例えば暴力表現のあるゲームは消えなければならないし、昼ドラのドロドロした不倫関係もダメである。殺人事件が起こるサスペンスもダメである。なんなら最終的にはノンフィクションであったとしても不適切なものは消されそう。しかしそれは究極的には歴史修正主義になってしまう。だからそういう理由で美少女コンテンツを消すのは少し早計である。

 

さて、いろいろ長く論じてしまって申し訳ないけど、要するに「萌え・かわいい」系の美少女コンテンツが「性的搾取」かということの答えについては、「確かに一理あるかもしれないけど、美少女コンテンツを消しても問題は解決しないと思う」というのが自分の答えになる。

 

ではいままでの流れをまとめよう。まず自分が思うにフェミニストたちの美少女コンテンツ排除の動きは「キモいからやめてほしい」だと思う。そしてそれはある程度正しいし、オタクたちも自覚はあると思う。だからフェミニストたちがそう主張すればオタクたちはそう強く出れない。しかし今の社会情勢である「多様性」によれば差別はなくさなければならないので、「キモい」というまさしく差別的な感情でコンテンツをつぶすことはできない。だから「性的搾取」と表現しているのだと思う。しかし一方でおそらく「性的搾取」かという問いは怪しい。少なくともこのコンテンツを取り上げたとしても、フェミニストの望む結果は得られないと思う。

 

では、ここまでの自分なりの分析を受けたうえで自分の考えをさらに述べていきたい。まず結論から言えば、「多様性」というものがかなりの足枷になっているということである。正直フェミニストたちは美少女コンテンツが「キモいからやめてほしい」と思っているだけである。しかしこれは差別に当たるからダメなのだ。一方で「キモいからやめてほしい」という主張が通れば、「温泉むすめ」の件のようにあまりにも不適切とされるいくつかの設定は修正することでなんとかお互いに丸く収めることができるはずだ。だからフェミニストたちは「性的搾取」という抽象的な表現は避けて、「ここがキモい」というだけでいいのだ。とはいえそれが差別に当たるからダメなのだろう。

 

しかし今も考えてみれば差別をなくそうなくそうといっても差別がなくならないケースは多い。例えば女性社員の募集で「容姿端麗」という条件を付ければアウトだが、それを社会が許さなかったといっても結局企業側が容姿で選んでいたら差別根絶にはならない。他にも「障害者雇用率水準」を設けたとしても、結局は数字だけうまく調整するように安いアルバイトだけ雇って好待遇にはしないだろう。また、実はもう内部で採用される人間が決まっていたとしても、一応ちゃんと募集した体にするために一度募集をしたりするであろう。結局のところ、差別をなくすというのは形骸化に過ぎない。

 

差別はなくせないので、キモいオタクはキモいままである。仮に差別をなくそうとなって「キモいからやめてほしい」という主張が通じなかったとしても、結局キモかったら就職はうまくいかないし、人間関係もよくならないし、結婚もできない。だから差別をやめようというのもどうも難しい話である。

 

だからフェミニストたちの主張もどこかズレている気がする。客観的に見ればフェミニストたちの指摘内容は結構分かるものもある。でもそれは全て「キモいからやめてほしい」の一言で済む。それなのに抽象的な表現にしてしまっているからオタクたちから反発されるのだと思う。

 

だから、自分の答えは「オタクのエリアをゾーニングする」ということである。大体どこの家でも、北海道でもなければゴキブリの一匹や二匹を見ることはあるだろう。そして見つけてしまったら最悪だ。よくゴキブリは一匹見つければ百匹いると思えというだろう。ますます最悪である。でもどうやってもゴキブリを家に侵入しないようにすることはできない。だからとにかく「うちにゴキブリはいてもいいけど、自分のあずかり知らぬところで生きていてくれ。自分の目の前には表れないでほしい」と思うのだ。そしてフェミニストたちのキモいオタクに対する感情もそれだ。初めのほうにも述べたけど、フェミニストたちが抗議するのはもっぱら国がバックについている場合である。要するに「国がバックについているのになんてけしからん」ということだ。たぶんコミケのような場所でオタクがうじゃうじゃいる分にはわざわざ首を突っ込んできたりしないだろう。フェミニストたちが嫌なのは公の場に美少女コンテンツが表れることである。そうすればお茶の間で気恥ずかしい想いをすることはない。自分から沼に入りたいものが入るのである。そしてそれを隠していれば社会では生きていける。というかおそらくマイルドなオタクだったらカミングアウトしても大丈夫であろう。

 

これについては仕方がない。人の思想は異なるものだ。思想が異なるせいで争いが起こるというのは宗教に関する戦争でよく分かっている。だからフェミニストたちが「オタクはキモい」と思うのも仕方がないし、オタクが「美少女コンテンツを楽しみたい」のもまた仕方がないことである。これがぶつかり合わないようにするには、完全なゾーニングを行うべきなのである。オタクはオタクの世界で生きればいいのである。普通の社会に生きる人間が、こっそりと夜、あるいは休日にはオタクの世界にログインすればいいのである。そうすればフェミニストたちから抗議されることはないだろう。そして、もしフェミニストたちがわざわざオタクの世界にまでログインしてきて文句を言いだしたら、本気で戦争をすればいいのである。

 

これで持論はおしまいとしたい。しかし、実際はこれだけでは解決しないのである。最後に、現状の社会とのすれ違いを述べることで、この記事を終わりたい。

 

先に述べた持論によれば、オタクの世界は完全にゾーニングされていればいいという結論である。しかしながら実際には国がバックについているプロジェクトにも、美少女コンテンツが表れている。そしてそれをフェミニストたちは「キモいからやめてほしい」といい、正直オタクたちもそれを自覚しているのである。

 

ではなぜ国がバックについているプロジェクトに美少女コンテンツが表れるようになってきたか?やはり答えは「経済が回る」からであろう。これについても申し訳ないけど、何か具体的な統計データを持ってきているわけではないから主観に過ぎない。でも、もし経済が回らないんだったらこんなにバンバン美少女コンテンツを押し出さないはずである。なお、なぜ男性向けの美少女コンテンツばかり展開するのかということについては、「男性は単細胞だから」である。要するに男性は美少女コンテンツならホイホイとお金を落としてくれるのだ。女性向けではたぶんそうはいかないのだろう。しかし、仮に女性向けコンテンツをやるならば、たぶん新しいコンテンツを作るのではなく、既存のものとコラボすれば効果があるのだと思う。男性は単細胞だからなんでもかんでも美少女にすればついてきてくれるが、女性の場合はおそらく既存の人気女性向けコンテンツとコラボすればいい。人気の女性向けゲームとか、国民的アイドルとか、そういうものとコラボすれば女性もきっとお金を落としてくれる。なぜそれをやらないんだろうか。それだと誘致にお金がかかるからかな。これについてはあまり分からない。

 

そういうわけで、「経済が回る」ということを仮定しよう。そうすれば美少女コンテンツを使いたい理由はバッチリである。しかし、ここで問題が生じる。仮に美少女コンテンツを立ち上げて経済を回そうとするならば、残念ながらどうしても公に広報しなければならない。本気で経済を回しに来るんだから、まずは宣伝してプロジェクトの内容を全面に押し出したい。そしてその際に男性オタクたちに興味を持ってもらうために美少女コンテンツであるという趣旨を強く主張しなければならない。しかしそうすると持論である「オタクの世界のゾーニング」とは相反する。

 

そういうわけで、おそらくこのフェミニストたちの主張と対立するのは、「オタクたちの経済活動」ということだと思う。不幸なことに、男性オタクたちは単細胞なので、少し萌え~でかわいい系の美少女コンテンツをたくさん書き出せば、簡単にお金を落としてしまうのである。しかもそういう活動がTwitterで拡散されやすいが、Twitterで活動しているイラストレーターなども極めて反応しやすい。要するに今ホットな話題の美少女コンテンツのイラストを描けば、すぐにめちゃくちゃ拡散されるのである。そういう意味ではイラストレーター側としてもオタクが飛びつきやすい美少女コンテンツがあるのはいいことなのである。もちろんイラストレーター側の最終目的はフォロワーを増やして自作の作品を購入してもらうことである。だからこれは極めて自然なことである。そしてそういうイラストレーターが増えれば、仮に公式での美少女コンテンツの広報量が少なかったとしても、火がつけばすぐに市場を席巻する。そして話題になればなるほどオタクは金を落とすし、フェミニストたちにとって嫌悪する状況が生まれる。要するにオタクだけの世界ではなく、Twitterのトレンド上位にそういう美少女コンテンツが出てきてしまうのである。そうすれば当然フェミニストたちの目に入るし、抗議活動をする。もちろん理由は「キモいからやめてほしい」ということである。

 

まあ、標語的に言えば「キモいという感情VSオタクの経済効果」といったところだろうか。少し長くなってしまったが、今回はここまでとしよう。最後にもう一度申し上げておくが、これは自分なりに中立な立場でできるだけ客観視した結果である。あまりオブラートな表現はせず、正直にありのまま思ったことを述べた。もし過激だと思われる点があれば、それは本当に申し訳なく思う。けれど、自分はこの争いをこれ以上広げてほしくないと思った。そして、いくら議論してもこれは平行線をたどるばかりだと思った。だから、自分の思っているありのままの気持ちをぶつけた。これ以上ギスギスした争いはしたくない。よろしくお願いします。